トイレの水はちゃんと流した方がいいという話

こんにちは!

 

道内大学生のとみしょーです!

 

 

今回のテーマは「トイレの水はちゃんと流した方がいい」です。

 

 

ここから先、少し下品な内容になってくるので食事中の方は気をつけてください笑

 

 

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皆さん、外出しているときに強い便意を感じると、仕方なく公共のトイレ使いますよね。

 

 

その時に、たまーに前に入っていた人のうんとか紙とかが便器についてません?笑

 

 

どういう体制で用を足したらこんな位置につくんだろうって思う位置に付いてたり、手で掴んで便器に思いっきり擦り付けただろっていう残り方もありますよね。

 

 

こういう場面に遭遇した時、僕はいつもこんなことを考えるんです。

 

 

もし仮に自分がうんを完全に流しきっていたとしても、

うんを流しきれずにそのままにしておくと次に入ってくる人に

「あ、この人マジで最悪。うんちくらいちゃんと流せや」って思われるだろうな。でも自分が見ず知らずの人のうんちをなぜ片付けなければならないんだろう。どっちを取ってもマジ最悪。しかも知人と催すタイミングが被り、さらにトイレが1つしかなかった場合、知人が持つ僕のイメージが完全に「剥がれないうんち」になってしまう。うんち、一発、トイレ1器、知人からの「剥がれないうんち」イメージ定着、数え役満で人生崩壊確定じゃん。死ぬぅ。と。

 

 

このように、トイレ一つで人生が変わってしまう人も中にはいると思うんです。怖い、、。

 

 

汚い話で終わりそうなんですけど、本当に伝えたいのはそこじゃなくて。

 

 

「自分の起こした行動が、いつどこで誰にどのように評価されるか分からない」ってことなんです。

 

 

先日、ゼミの卒業旅行でバリに行ったんですけど、「ライステラス」という自然豊かな素晴らしい場所にアイスの紙ゴミやペットボトルが複数個落ちてたんですよね。

 

 

誰が落としたかは分からないです。観光客用にアイス売り場が中に併設されていたのでおそらく観光客ではないかと思うんですけど(推測であって確証はないです)、それでも間違いなく「ライステラス」の評価だったり、ポイ捨てした瞬間を見ていた現地の人の観光客への評価であったりに少なからず影響を与えていると思うんです。

 

 

結論、

日常生活から常に相手の立場に立って考える癖をつけることで、自ずと自分の環境も良くなるんじゃないかなということです。

 

 

ブログに対するコメントや、もっとこうした方が見やすいなど意見がありましたら遠慮なくぶつけていただけると非常に助かります!

 

 

ではでは、今日はこの辺で🍟